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2013/03/02

何年かに一度

大きな変化を自覚します。




いや、人間的にとか、
社会情勢的にとかもそうなんですけど、
とりあえず、ここでは音楽の話です。
私は、一応の主張としては、
演奏よりも創作の人間だと申し上げておりますので、
つまり、作る曲の、方向性とか、技術とか、やりたいこととか、
そういったものが、何年かに一度、大きな変化をします。




作っている最中に意識することもあるし、
作ったものを後で聞いてみて、意識することもあります。

後者の場合、曲を聞いて、
「集大成」という感想を持つときと、
「発展」という感想を持つときがあって、
もちろん、どちらかに限れるわけでもないのですが、
なんとなく、どちらの比率が大きいのかということで、
これは「集大成」の曲、これは「発展」の曲というふうに、
なんとなく、どうでもよく線引いています。

「集大成」の場合、今まで発展してきて、膨らんできたものを、
ひとつ分かる形として、洗練して引き出しにしまうような作業なんですが、
こうすることで、発展してきた諸々に、コントロールが効くようになる。
後日、その諸々を再利用しやすくなる、ということですね。
「発展」の場合、とにかく、ばらまく。とっちらかる。
あとで集大成つくるときに回収しますので、という前提で、
とにかく、汚す。泥の中から、新しい何かを見つける。





で、いま、まさに、「発展」の方にきてます。
ただね、これなんですけど、
いままで、何年かに一度経験してきた「発展」とは、
今回、かなり性質が異なってます。
具体的に言えば、曲を作る前の段階から、意識しています。
受動的ではなくて、能動的に、意識しています。

何かが変わる気がする、ということではなくて、
何かを変えるつもりでいる、のです。
今回は。



いつもは、
「発展」の名が指し示すとおり、
”何かを持っていて、それを発端にしてさらに展開させる”
というようなことに近い。

ただ、今回は、
”全く別のところから、何かを持って帰ってきた”
というようなことに近い。
だから、「発展」よりはやはり「変化」、または「添加」?
誰かの何かが自分に添加されることを受け入れ始めているのかもしれぬ。
愛ですかね。
なにいってんだ私。


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