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so-riの、

2017/05/18

LEUKO

と書いて、ロイコと読みます。
なにかものをつくるとき、その正体がどういったものであるのか、
制作者にもあまりわかっていないということが得てしてあるようです。
そういう話は、今までも何人かの人に聞いたことがあります。
決して多くは無いのかもしれませんが、それでも確実に、ある話のようです。
まさに、このLEUKOというアルバムの正体は、
我々にも最初まったくわかっていませんでした。

我々にも最初まったくわかっていなかったのですが、
レコーディングを進める中で、わからないなりに出てきたLEUKOという単語、
様々な人の協力があって出来上がったCDの現物、
それを手に取り、聞きながら眺めているうちに、
あぁ、もしかしてこういうことだったのかな、
全てを解明できたわけではないですし、全てを解明できると思ってもいないのですけれど、
なんとなく、少しだけわかったことがあったような、そうでもないような、
その正体はぜひ皆様のお力をお借りして、気長に見出していきたいと思います。
まぁそういうわけでなんとなく、なんとなく。
しばらく書いてきたこの各曲ライナーノーツ日記の結びとして、
少しだけ、個人として今思う、このアルバム全体のことを。



000000.LEUKO

「the phenomenons」


・ろいこと読む。
・もともとの発端は2015年の夏ごろ、初のEP「BLACK LEADY / 雨のあと」のレコ発ライブが終わって、 では次にどうしよう、というところから始まった話であったはず。もともとふぇのめのんずの楽曲というのは比較的入り組んだ情報量の多いものが多いため、音源の発表はかなり前から心待ちにされていたのであるが、様々な事情によりレコーディングに踏み切ることができずにいたのだった。そんな中2014年にベースイノマタさんが加入、現在の編成(通称「ゴキメノンズ」)となって、漸く音源制作に向けての活動がスタートした。2014年10月には初のセルフレコーディング音源「水天楼」が完成し、ライブ会場限定無料配布という形ではあるものの、待望の音源発表に漕ぎ着けたのである。2015年6月にはちゃんとレコーディングスタジオで録ったぜ初音源「BLACK LEADY / 雨のあと」を発表。セルフ音源、ファーストEP、と来たので、じゃあ次はミニアルバムか!という、安直な流れだった。音源発表が長年の課題だったせいで、水天楼からLEUKOまで一気に駆け抜けた感がある。
・そんなわけで、EPから立て続けにレコーディングが決まったミニアルバムだが、その後様々な顛末があり、実際のレコーディング開始は2016年12月となった。様々な顛末、例えば8月くらいに実は「臨界事故」だけ先にレコーディングしようとしていた時期があり、いろいろあって頓挫したりした。あとは特にツアーとかしてないのに何故かツアーファイナルの開催が決定したり、鍵盤のひとがバンドと全く関係なく突然九州へと旅立ったり、 あとはなんとなくだらだらしたりして、気がついたら12月になっていたのだ。
・そういうわけで、話の発端から実際のレコーディングまで約半年ほどあったのだが、収録曲は全て企画発端当初、2015年7月の段階で存在していた楽曲である。言い換えればつまり、アルバムのために作った楽曲というのは一曲も存在しない。
・選曲については、早い段階でまず「臨界事故」と「ピアノDLY」の収録は決まっていた。鍵盤のひとがやたらプッシュするので「戦闘機平成」も決定。
・残り二枠についてはいくつか議論があったが、最終的に「Wednesday」と「night black」が決定する。
・他に出ていた案としては、「水天楼」「堕ちる」「pray」などがあったような気がする。個人的には「堕ちる」はちょっと録りたかったが、技術的困難が極まるので断念。
・つまりは、何かアルバムテーマのようなものがあって曲を用意したというより、現状転がっている曲を集めてアルバムにした、という順序であって、それ故に、このアルバムがどういったアルバムであるのか、作っている本人たちにもよくわかっていなかった。
・私自身が、このアルバムの何かテーマのようなものを少しだけ理解した、ような気がしたのは、CDの完成品が届いて、それを実際に通して聞いたときである。これは、レコ発ライブより後日のことだった(様々事情があり、CDの現物が届いたのはなんと企画当日の昼だったのである、、、今思い返しても冷汗大瀑布である。万が一の事態を避けるため、CDの配送先はメンバーそれぞれの自宅以外にライブハウスにも直接届くように設定し、なんとか事無きを得たのである)。
・どうやら、、、このアルバムは、何をか象徴して、「光」「色」という概念が多用されていて、そして各曲ごとにその流れがあるらしいぞ、ということだった。 「night black」で始まり「ピアノDLY」で終わるこのアルバムのテーマは、気取って言うなら、「色彩の再獲得」ということになりそうだと、歌詞カードを読みながら、そんな事を思ったりしたのである。選曲も曲順も、正直に言えば偶然の産物だったのだけれど、そうやって眺めてみると、面白いくらいに必然性が感じられる流れになっていた。ピアノの鍵盤が白黒であるということとか、ジャケットのテレビがブラウン管であることとか、そんなことまで含めて何から何まで、仕組まれたことのような気がしてくる。そのうえアルバムのタイトルがLEUKOというのだから、なんだか出来すぎているような気がして、可笑しいのだ。
・「光」というものが様々の象徴として用いられることと同じく、「色彩」というものも、何か重要なものを「暗示」しているようだ。それはおそらく何か一つではなく――その意味するところを、それぞれがそれぞれに自由に想像を膨らませて聞いて頂けたなら、それはとてもありがたいことですね。


2016/07/11

loiko

と書いても、おそらくロイコと読んでよいと思うのですが、
残念ながらこれは正しいスペリングではありません。
鍵盤のひとはタイトルなどを付けるときに、
言葉の持つ意味合いと同時に、語感とか見た目とかのイメージをけっこう重要視するので、
日本語でも英語でも、まっとうな常識で考えると盛大なスペルミスに見える曲名があったりする、
具体的にはかの「BLACK LEADY」などが挙げられますね、

具体的にはかの「BLACK LEADY」などが挙げられますが、
では今回のアルバムの最終曲である「ピアノDLY」はどうなのかと言うと、
これはおそらくスペルミスではない・・・略式「DLY」、
しかしこれ、なんて読むのってよく言われますね、







000005.ピアノDLY

「新しい旅へ出よう」


・ぴあのでぃれいと読みますよ。
・デモ音源の完成は2015年3月。今回のアルバムの収録曲の中では、デモ的には最も新しい曲ということになる(バンドでの初演自体は、night blackの方が遅い)。
・バンドでの初演は2015年5月末ということだったはず。直後の6月にフェノメノンズ初の音源「BLACK LEADY / 雨のあと」のレコ発企画があって、それに間に合わせようと頑張っていたのだった。ふぇのめのんずの永きに渡る課題として、「アンコール向けの楽曲が存在しない」ということがあり、その対策としてなんとしても企画までに成立させねばならなかったのである(ちなみにこの6月の企画のときには、アンコール時にまず鍵盤のひとだけが登場して曲のイントロを弾き始め、遅れて他のメンバーが登場するというエモーショナル演出を行った。メンバーからは「お前が先に鍵盤に座ると登場動線が狭くてめんどい」ともっぱら不評だった)。いちおうこのときは「ピアノDLY」をアンコールにしたことで乗り切ったのだが、それ以来(ありがたいことに)この曲がけっこう人気を博してしまったため、アンコールに回しづらくなり、結果的にアンコール問題は現在も解消されていない。
・基本的に新曲の実現が遅いふぇのめのんずにおいて、デモ音源完成から二ヶ月半ほどで実現にこぎつけたというのは異例な速さである(つまり普段がすごく遅い)。これは鍵盤のひとがこの曲を猛プッシュしたことによるもので、この点も異例である(他にも猛プッシュした事例として「夢々し」などがある。ちなみに「夢々し」と「ピアノDLY」はイントロのコード進行が同じ・・・うん・・・好き・・・)。
・猛プッシュの理由はふたつあり、ひとつは単純に「この曲こそが今ふぇのめのんずに必要だと思ったから」というまっとうな判断。その判断の理由を例え話で説明するために、鍵盤のひとはなぜか「メタモン」を引き合いに出したりしていた(そしてちょっとそれを後悔した)。「例えば”水天楼”とか”wednesday”とか”雨のあと”で、今まで水タイプのポケモンばっかりだったところに、”BLACK LEADY”で悪タイプ、”戦闘機平成”で炎・空タイプみたいな流れがあるでしょ。次に我々に期待されてるのは、水→悪→炎と来たから・・・草タイプかな?みたいな、傾向の読まれ方をしてると思うんですよ。確かに我々が草タイプを出したら意外性はあるけど、でもそれは<想定されうるレベルの意外性>なんです。その流れをここで一度リセットするために、次の一手はまったく違う角度から差し込みたい。つまり我々が次に手持に加えるべきは、メタモンなんです」みたいな。
・ライブハウスでこの曲の照明オペレーション要望書を出すときにいつも「特定の色の印象が付かないように」という注文を付けるのだが、そのあたりの発想も似たところである。
・猛プッシュのもうひとつの理由としては、この曲が鍵盤のひと的にかなり大事な曲だったからである。実は、この曲を象徴するイントロのピアノリフの原形は2012年の6月ごろ(それこそ「夢々し」と同時期くらい)に出来たもので、しかし鍵盤のひとは直感的に「これは自分にとってかなり大事な曲になる」と思っていたので、そのピアノリフを何に使うか迷っていたのである。インスト化してソロで発表するか、ボカロ化するか、バンドに使うか、などなど。そしてその判断が、単に曲を何に使うかということに留まらない、その後の自分の生き方にまで及ぶ可能性をどこかで感じ取っていた。つまりこの曲をバンドに使うと判断したことは、僕にとってひとつの、「バンドへの決心」と同義だったのだ。それはふぇのめのんずが現在の編成になってから半年ほど過ぎた、2016年初頭のことであるので、2012年の6月から、三年半の月日を経てようやく、この曲を書く明確な意志に辿り付いたのである。
・しかして、書こうと思ってもあんまり書き進まらなかったのだ。「明確に書く意志がある状態」で長期難航をするケースはけっこうまれで(前例としては三ヶ月を要した「臨界事故」がある)、その理由としては、「イントロのエモーショナルの正体がわからない」というようなことだった。つまりは、この曲がどういう曲なのか、自分でわからなかったのである。わからず、わからず、わからないまま、そしていつだったか、「あ、わからないんだ」ということに辿り付く(なにそれ)。「わからない状態から始まる」という方針を思い付いたのだ。そこでこの曲の音楽的テーマが決定した。この曲は「エモーショナルの再獲得」の曲である、と。いわば、「すかすかになったこころが復活するまでの曲」だ。
・タイトルの「ピアノDLY」は、2012年時から仮タイトルとして付けられていた名前なのだが、そういうわけでこの曲は先入観を持って聞かない(=すかすかな状態で聞く)方が良いだろうということで、このままのタイトルで採用としたのだった。
・「DLY」とはすなわち「DELAY」なのだが、何がディレイかって言えばそれは・・・ただ、今となっては、これはエモーショナルのディレイ、ということなのかもしれないとも少し思う。正解はいかに。
・この「DLY」がやたらと間違われやすく、「ドライ」と読んでしまうポピュラーなミスは勿論のこと、「DRY」 という非常にアルコーリッシュな解釈や、「DIY」という気の遠い道のりを示す方々もありあり、もうめんどうなのであまり訂正しなくなってきている。
・(個人的には最近、「ぴあのでぃーえるわい」と読むのが好き)
・なんだかんだアルバムのリード楽曲という扱いを受けている。もともと鍵盤のひとはアルバムのキラーチューンは「戦闘機平成」だと思っていて、というか今でもそう思っているのだが、何かに付けて引き合いに出されるのは「ピアノDLY」の方である。まぁもともとこのアルバムにはリード楽曲みたいなものは設定しないという方針になっていたのだけれど、ただ、今回のこの選曲なら、おそらくアルバムのトリはこの曲になるだろうということだけは早い段階から決まっていたので、だから僕は、このアルバムはどんなに転んでも最後には希望の方向を向いたものになるだろうと確信していた。なんてったって、「新しい旅へ出よう」ですからね。






2016/06/08

「leuko」

と書けば当然、ロイコと読むのですけど、
鍵盤のひとはしばらく、小文字表記「leuko」が正式名称だと信じていたのですが、
改めてCDを見直してみたら、なんか大文字で「LEUKO」って書いてあってびっくりしました。
小文字と大文字ってけっこう印象ちがいますよね。

小文字と大文字ってけっこう印象ちがいますよね、
「night black」とかも、もともと大文字「NIGHT BLACK」だったのがいつのまにか小文字になり、
あとは「ピアノDLY」が「ピアノdly」って書いてあるとちょっと気持ち悪かったりするし、
それこそ 「the phenomenons」を大文字にすると「THE PHENOMENONS」なんかうるさい、
個人的には、「Wednesday」も「wednesday」のほうが好きなんですけれど、
大変残念ながら正式名称は「Wednesday」のほうです。







000004.Wednesday

「I don't know what to say, no more」


・うぇんずでいと読み、水曜日と訳す。
・今回のアルバムにおいて、唯一鍵盤のひと単体による作曲ではない楽曲。アルバムのクレジットではボーカルマスイ氏の作曲となっているが、実際には鍵盤のひととの共作である。 クレジットにいろいろ書くのがめんどくさかったのだ。
・細かく言うと、Aメロの「うぇんずでぃ、とぅない」というメロディの素案と全体のムードをマスイ氏が考案し、その他サビメロなどは鍵盤のひとが作った。その後、全体の構成やコードワークはほぼ鍵盤が担当し、最終的な編曲指揮はマスイ氏が担当した、というかんじの流れ。
・作詞は100%ボーカルマスイ。いまのところ鍵盤のひとは英詩を書くことができない。いつの日か、と企んではいる。
・そういうわけで共作であり、スタジオで素案が出来た曲であるため、厳密な楽曲完成時期が曖昧である。ただ、ライブ初演はどうやら2013年9月っぽいので、おそらく2013年の春から夏にかけて出来た曲だったと思う。。。
・一体何が水曜日かって言えばそりゃ、、、我々のスタジオリハ曜日が、、、
・この頃はまだベーシストが現在のイノマタさんではなく、先代のカガヤさん(酒豪、♀)だったので、この曲には女声コーラスが印象的に使われている(ぶっちゃけマスイ氏より歌が上手い)。現在のイノマタさん編成になってからは、ライブではこの女声コーラスの部分までマスイ氏が担当しているが、レコーディングにはやはり女性コーラスを入れたいということで、久しぶりにカガヤさんを召喚した。(お酒奢るって言ったら快諾してくれた)
・カガヤさんはふぇのめのんずではベーシストだったが、ふだんは主にギター弾き語りでライブをしている(ぶっちゃけベースよりギターの方が上手い)。たまに共演するので、いつかライブで「ゲストコーラス、カガヤミキ!」っていうのをやりたいのだが、いまのところ実現していない。
・サビで鍵盤のひともコーラス参加し、最終盤においてはドラムのスガさんもコーラスに参加するため、先代のころは全員で一斉に歌う姿が見れる珍しい楽曲だった。ららーらーらーらーらーらー。単純にビジュアル的に全員で歌っているのが感動するので、イノマタさんにも口パクでいいから歌ってもらおう。
・というか実際のところ、現在のメンバー編成になってからは女声コーラスが抜けた痛手によりお蔵入りになっていた楽曲であったのだが、レコーディングに際してサルベージされたのであった。レコーディングだけ女声復活させて、あとはレコ発という名分で人目に晒してしまえばもう恐れるものは無いという魂胆である。
・(じっさい一時間セットリストのときにこの曲が無かったら、演る方も見る方もだいぶきつかっただろうなと今になって思うのであった)
・ふぇのめのんず楽曲の中ではかなり聞きやすくポップな部類に入るため、レコ発以後けっこう重用されている。ただ、演奏している側は普段とは異なる集中の仕方が必要になるため、そんなに休まっていない。
・鍵盤のひとの作詞ではないため、内容についてあまり断言することは出来ないが、とりあえずMCでは「別れの曲です」と表現されることが多い。
・ただ、「100年前の思いを」という歌詞を持つこの曲がこのアルバムの四曲目に配置されたことは、偶然にけっこう、良い縁だったような気がしている。もともとこの曲は三曲目の予定で、戦闘機平成が四曲目になるはずだったのだが、マスタリング前にマスイ氏の提案で急遽入れ替わったのだった。今にして思えばこれはかなり秀逸な判断だったと言える。音楽の響きとしてもそうだが、歌詞の持つ意味合いにおいても、ひとつの軸が通った曲順となっただろう。
・ちなみにサビ歌詞「夢の続きを」は、もともと「記憶のかけら」だった。たまに間違えそうになる。

2016/03/27

「ロイ子」

と書いても、ろいこと読みます。
これはジャケットのテレビに映っている「ふうせんコートの人」の愛称です。
もともとアルバム名が決定するより先に、ジャケットの素案はいくつか届いていて、
「3Dメガネをかけた群集」の案や、「映画のフィルム風」の案など様々ある中で、
その中でも特に異彩を放っていたのが「ふうせんコートの人」 の案でした。


その中でも特に異彩を放っていたのが「ふうせんコートの人」の案、
その衝撃性とバランス感を両立したデザインは満場一致で採用されるに至り、
後日、それを眺めつつカップ麺を食べながらアルバム名を決定する流れとなったのですが、
出てくる案はどれも決定打に欠け、とうとう議論が暗礁に乗り上げかかったその時、
ギターのひとが出した「leuko」という案。意味合いもさることながら大事なのはその発音「ろいこ」。
そこにすかさず「じゃあこのふうせんコートの子は”ロイ子”ね」と言い放ったのが誰かはさておき、
そうしてアルバムタイトルは(ついでにふうせんコートの人の性別も)決定したのでありました。
デザイン担当して頂いたHITOEさまには頭が上がりません。ふうせんなのに。
三曲目は空を飛ぶ曲です。ふうせんだけに。ふうせんだけに。






000003.戦闘機平成

「僕の賭けを 君に託そう」


・ふぇのめのんずを代表する不謹慎タイトルソング2。
・とはいえ不謹慎なのは実はタイトルくらいで、歌詞内容は以下臨界事故同文。
・いや、、、臨界事故よりはちょっと不謹慎かもしれない。 ただ、いずれにせよ主題は社会性にはない。これは題材として戦闘機を扱っているだけであって、根本的なテーマとしては、生きること、戦うこと、連鎖すること、その辺りに関わる大きな話だと思っています。だから別にシチュエーションは戦闘機に限らなくてもよいし、戦争ですらなくてもいいぐらい。それを現代の平成という時代に捉えた楽曲だが、これは平成という時代が終わって次の新しい時代が訪れても、いつの時代でも変わらないテーマとして在り続ける、、、ような気がする。
・デモ音源完成は2014年6月頃。この、2014年上半期という時期の楽曲は現在のセットリストで利用されているものが多く、要するに豊作だった時期のひとつである。他に「BLACK LEADY」「天使の塔」「night black」「星花火」などがこの時期の楽曲。
・バンドでの初演は2014年9月。比較的デモ完成から実現までが早い曲だった。その頃のセットリストにはテンポの一定以上に速い楽曲が「夢々し」くらいしか存在しなかったため、戦闘機の登場は、同年6月に初演となった「BLACK LEADY」と合わせて、フェノメノンズセットリストの方向性を大きく変革させることとなった。
・フェノメノンズ楽曲としてはめずらしい、鍵盤があまり前面に出ない楽曲であるため、かえって鍵盤のひとのお気に入り曲のひとつでもある。 完成時にメンバーに送ったメールは「ギターロック出来たよ!やろう!」だった。鍵盤のひとはしばしば、鍵盤の必要ない楽曲を作る。
・他曲に比べてまっとうにギターロック風味かつ歌ものっぽい楽曲であるため、一部から人気が高い。ありがたいことです。
・最後サビ入る前の「あの花の咲く方へ」が、「あの花が咲く!oh year!!」に聞こえるという報告がある。
・(その他空耳報告がいくつかあるが、実は八割方作詞者の確信犯だったりするのでした)
・そういうかんじで、歌詞は”曲の要所要所においしい単語が聞こえてくる”ということを目指して作られていて、特にサビ入りの瞬間の「空へ飛び立つ」に命を懸けている。そぉーーらぁーーーーへぇーーーーっっ、とび、たぁつ!!!!
・一番サビ終りにギターのリフっぽいソロっぽい一幕があり、作曲者的にはここがこの曲の最大の魅せ場だと思っているのだが、ギターのひとはここをやたら苦手としていて、レコーディングにおいても苦戦を強いられた。ちなみにこれはコードとして最後サビの後にも出てくる。
・コーラスが多用される楽曲のひとつであり、最後サビの後半ではメインのメロディに対して三度上下のコーラスが入る三声仕様まで検討されたが、実際にやってみたところ「アルフィっぽい」という意見から廃案となった。歌詞もアルフィっぽい。たったっかーう。
・歌詞中に出てくる「火名菊」及び「碑名菊」は造語であり、どちらもヒナギクと読む。戦闘機雛菊って、ありそうな名前ですね。。。歌詞は最初「花が咲い た」というところから始まるし、これは曲中通してひとつの重要なモチーフであるのだが、「花」が特に「菊」であることにはけっこう多くの意味合いがある。



2016/03/11

「ロイコ」

と読み、leukoと書きます。
アルバム名はボーカルのひとがつけました。
わりと気に入ってます。
言いやすいっていうのが大きいです。語感。
語感大事ですよね。

語感大事なんですけど、
これ、ふつう読めないぞ、という話にはなりました。
CDには、こっそりこっそりルビがふってあります。
ロイコと読みます。
二曲目はりんかいじこと読みます。





000002.臨界事故

「ここにいることは あるいは ひとつの 自己」


・ふぇのめのんずを代表する不謹慎タイトルソング。
・とはいえ不謹慎なのは実はタイトルくらいで、歌詞内容は過激だったりとか反社会的だったりとかぜんぜんしない。これは戦闘機とかにも言える事で、あくまで題材として扱っているだけ。
・デモ音源完成は2011年6月末頃。まさしく地震のあった年。鍵盤のひとがふぇのめに加入した年でもある。
・バンドでの初演は2014年1月。これまた、デモ完成から実現まで時間のかかった曲だ。当初このデモを持っていったときは実現不可能として容赦なくお蔵入りをくらったのである。フェノメノンズは一時期は五人編成だったことがあり、デモはその時期のものであるため五人を想定して書かれていたが、2013年に四人編成となってから、改めてこの曲を四人編成に編曲し直して提出したところ採用され、ついに実現に至ったのである。個人的にはバンド加入して初期の作曲であり、思い入れの強い楽曲であったので、実現したときはなかなか感慨深いものがありました。
・テーマは言わずもがな、311大震災と、原発事故。鍵盤のひとはこの日がちょうど高校の卒業式だったこともあり、人生の節目の、別れと旅立ちの日にあのような事態となったことで、人生観の根底みたいなレベルのところから何やら調子を崩されてしまい、結果として三ヵ月かかってこの曲を作るに至った。この曲を作ったときの記事がこのブログの奥底に眠っているので、ここでは改めて書くことはしないが、一言で言えば「選択すること」の曲だ、と、思っています。気になる方は過去記事を探してみてください(ブログの更新頻度が貧弱すぎるので、わりとすぐ見つかります)。
・ とにかくタイトルの破壊力が強いため、ライブにおいては積極的にタイトルコールがなされる曲のひとつ。「臨界事故という曲をやります」
・長い曲のひとつ。象徴的なピアノアウトロがあるが、これを省いても七分。とにかくセットリストにおける使い回しが難しく、メンバーは度々「この曲無ければいいのに、、、」と嘆いているが、でもだいたいのライブでいつもやってる。なんというか、音楽的にも内容的にも、他に代えが利かない曲なのだ。そりゃそうか。
・ライブにおいては青い照明が印象的である。これは歌詞に「青い光」という一節があることによるものだが、臨界事故における「青い光」というものがどういうものなのかは、お調べ頂くとけっこう画像が見つかると思います。
・また、中間部に少しだけ、赤い照明が印象的な箇所があり、これはやはり歌詞に「赤い光」という一節以下略なんですが、この「赤い光」がなんなのかは、調べてもたぶんでてきません。いちおう正解はある。
・テンポがめちゃくちゃ変わる曲(ただ、「テンポチェンジ」という種類よりかは「緩急」という種類に近いかんじ)。特に曲中で二回ほど出てくる七拍子の爆音テンポチェンジ箇所は通称「事故」と呼ばれている。もともとはこんなにテンポが変わる曲ではなかったが、気付いたらこんなありさまに。レコーディングにおいてテンポチェンジを再現するかは意見が割れたが、最終的にはクリック無しの一発録音という手段で強行することとなった。
・変拍子曲と誤解されることが多いが、上記「事故」部分の七拍子を除けば、アクセントの位置が特殊だったりするだけで、基本四拍子をキープしている。
・ベースが解放弦を多用する曲であり、解放弦を禁止されたらほぼ弾けない。キーの都合からカポタストを利用していて、その装着時間を稼ぐために、ライブではよく鍵盤の前奏が付く。
・作曲技術的には実は「温存」がひとつのテーマになっている。特に、4コード回転の温存と、四つ打ちの温存が大きい。最後の最後まで、決して安易には盛り上がりきらないという手法は、暗に臨界事故の進行を表しているとかなんとか。


2016/03/09

「ろいこ」

と読み、leukoと書きます。
アルバム発売しました。
合わせてふぇのめのんず公式疑惑ブログもそれに合わせた対応をしていかねばなりません。
重ね重ね申し上げますが、ほんらい体裁上は公式ブログではないです。



重ね重ね申し上げますが、ほんらい体裁上は公式ブログではないです。
アルバム、ろいこと読み、leukoと書き、ろいこと呼ばれています。
発売しました。
このブログは公式ではない、鍵盤のひとの個人的スペースですけど、
楽曲の紹介などを、個人的な趣味の延長として、責任感なくこなしてまいりましょう。
つとつと一曲ずつ。





000001.night black

「白黒な君の闇は 怒りも悲しみも 無いように見えていた」


・ないとぶらっくと読む。
・デモ音源完成は2014年3月頃。ちょうど現ベース加入騒動の時期であり、「BLACK LEADY」とだいたい同時期でもある。
・もともとタイトルは大文字で「NIGHT BLACK」だったが、「夜ノ黒」「ヨノクロ」などを経て現在の小文字「night black」に落ち着く。
・バンドでの初演は2015年11月。というかこの記事を書いた時点では、まだ三回しかライブでやってない。幻の曲、、、というか単純に最近の曲。
・アルバムのレコーディングが2015年12月だから、要するにアルバムに収録するために頑張った曲ですね。
・アルバム一曲目にして最大の技術難易度曲。臨界事故とかも難しいけど、、、難易度のタイプが違うわよね。
・主にベーシストが死ぬ
・もともとの発端は、鍵盤のひとの作る曲に対する周囲の「プログレっぽい」という評価に対して、鍵盤本人はプログレを作ってるつもりは皆無だったので、だったらちゃんとプログレっぽい曲を書いてやるわいと奮起し、結局あまりプログレにはならなかったという曲。
・動機こそ目指せプログレであり、結果として高難易度曲ではあるものの、最終的な作曲者のイメージとしては決して「技術主張の強い曲」「テクニック曲」だとは思っていない。むしろけっこうテーマ性や雰囲気に重きを置いた曲の部類だと思う。
・ふぇのめでは(いまのところ)数少ない、ギターソロのある曲。とは言えフレージィなソロではなく、ほとんどノイズ製造。
・また、全体にコーラスが多用されている楽曲でもある。ただしわりと楽器隊全員いそがしいため、あんまりコーラスするような余裕がない。
・ギターはスパイダーカポが必要。1弦2弦のみ1フレットにカポという仕様で、こうすることで開放弦のチューニングが全て完全四度で等間隔になる。
・フェノメノンズ楽曲中でも異彩を放つ、非常に特殊な和音感を持つ曲である。「和声的解釈」と「コード的解釈」をいろいろ相互補助しながらミックスした結果であり、つまりコードネームを当てはめるだけでは解析しきれないし、はたまた和声的分解だけに頼っていても理解は困難だが、両方を同時に用いると謎が綺麗に解ける。(いったい何を言っているんだ)
・あとはけっこうスケール感もけっこう特殊。フリギアとエオリア(ナチュラルマイナー)の併用によるところだが、途中でやたらギターが変化和音を多用する上、メロディの帰結位置も時によって曖昧であるため、わりと判断がしにくい。その辺りのもやもやが、ギターソロ後のコード解決時の快感を導いている。やっと解決した!ってかんじがある。(しかし、やっと解決したにも関わらず直後に歌詞で「延々続く」って言い出して、曲はまた曖昧に戻っていってしまう。このあたりの展開はこの曲の醍醐味。熱弁。)
・リズム的には6/8と3/4の感覚がこれまたミックスされていて、これがフェノメンバーをたいへんに苦しめた(とくに竿二人)。一時期はレコーディング断念まで噂されたが、強行突破。
・歌詞内容的は、けっこう心理的というか抽象的というか断片的というか。エモーショナルの有り方が、直接的ではなく間接的に表れているようなかんじ、、、?
・(歌詞完成時のメンバーへのメールより抜粋)色彩を判別できないということの原因はふたつあって、光量が足りないという場合、色覚に異常がある場合、どちらかなのですが、前者の場合には、最終的には色どころか何も見えなくなります。後者の場合は、色が見えなくても形(輪郭)は見える。ものごと、目に見えるものと実態真実は異なっていることも多々ありますが、この「見える」という状態一言にもいろいろ、色々あって、夜ノ黒の中で、色彩が見抜けない時、それは光が足りないからなのか、それとも光の無い時間を生きて、自分の目が色彩を無くしたのか、夜ノ黒の中で、その実態を見抜けるか。そういった中で、目安になるのは、自分の目と、誰か他人の目、かもしれない。目の色を窺う、という言葉もあることですしね。できればそれは、光が全てを照らしてしまう前に、夜ノ黒のうちに、試みておきたい。
・ロイコのジャケットデザインは、テーマ性においてはけっこうこの曲の影響が大きい。





2016/02/27

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