なにかものをつくるとき、その正体がどういったものであるのか、
制作者にもあまりわかっていないということが得てしてあるようです。
そういう話は、今までも何人かの人に聞いたことがあります。
決して多くは無いのかもしれませんが、それでも確実に、ある話のようです。
まさに、このLEUKOというアルバムの正体は、
我々にも最初まったくわかっていませんでした。
我々にも最初まったくわかっていなかったのですが、
レコーディングを進める中で、わからないなりに出てきたLEUKOという単語、
様々な人の協力があって出来上がったCDの現物、
それを手に取り、聞きながら眺めているうちに、
あぁ、もしかしてこういうことだったのかな、
全てを解明できたわけではないですし、全てを解明できると思ってもいないのですけれど、
なんとなく、少しだけわかったことがあったような、そうでもないような、
その正体はぜひ皆様のお力をお借りして、気長に見出していきたいと思います。
まぁそういうわけでなんとなく、なんとなく。
しばらく書いてきたこの各曲ライナーノーツ日記の結びとして、
少しだけ、個人として今思う、このアルバム全体のことを。
000000.LEUKO
「the phenomenons」・ろいこと読む。
・もともとの発端は2015年の夏ごろ、初のEP「BLACK LEADY / 雨のあと」のレコ発ライブが終わって、 では次にどうしよう、というところから始まった話であったはず。もともとふぇのめのんずの楽曲というのは比較的入り組んだ情報量の多いものが多いため、音源の発表はかなり前から心待ちにされていたのであるが、様々な事情によりレコーディングに踏み切ることができずにいたのだった。そんな中2014年にベースイノマタさんが加入、現在の編成(通称「ゴキメノンズ」)となって、漸く音源制作に向けての活動がスタートした。2014年10月には初のセルフレコーディング音源「水天楼」が完成し、ライブ会場限定無料配布という形ではあるものの、待望の音源発表に漕ぎ着けたのである。2015年6月にはちゃんとレコーディングスタジオで録ったぜ初音源「BLACK LEADY / 雨のあと」を発表。セルフ音源、ファーストEP、と来たので、じゃあ次はミニアルバムか!という、安直な流れだった。音源発表が長年の課題だったせいで、水天楼からLEUKOまで一気に駆け抜けた感がある。
・そんなわけで、EPから立て続けにレコーディングが決まったミニアルバムだが、その後様々な顛末があり、実際のレコーディング開始は2016年12月となった。様々な顛末、例えば8月くらいに実は「臨界事故」だけ先にレコーディングしようとしていた時期があり、いろいろあって頓挫したりした。あとは特にツアーとかしてないのに何故かツアーファイナルの開催が決定したり、鍵盤のひとがバンドと全く関係なく突然九州へと旅立ったり、 あとはなんとなくだらだらしたりして、気がついたら12月になっていたのだ。
・そういうわけで、話の発端から実際のレコーディングまで約半年ほどあったのだが、収録曲は全て企画発端当初、2015年7月の段階で存在していた楽曲である。言い換えればつまり、アルバムのために作った楽曲というのは一曲も存在しない。
・選曲については、早い段階でまず「臨界事故」と「ピアノDLY」の収録は決まっていた。鍵盤のひとがやたらプッシュするので「戦闘機平成」も決定。
・残り二枠についてはいくつか議論があったが、最終的に「Wednesday」と「night black」が決定する。
・他に出ていた案としては、「水天楼」「堕ちる」「pray」などがあったような気がする。個人的には「堕ちる」はちょっと録りたかったが、技術的困難が極まるので断念。
・つまりは、何かアルバムテーマのようなものがあって曲を用意したというより、現状転がっている曲を集めてアルバムにした、という順序であって、それ故に、このアルバムがどういったアルバムであるのか、作っている本人たちにもよくわかっていなかった。
・私自身が、このアルバムの何かテーマのようなものを少しだけ理解した、ような気がしたのは、CDの完成品が届いて、それを実際に通して聞いたときである。これは、レコ発ライブより後日のことだった(様々事情があり、CDの現物が届いたのはなんと企画当日の昼だったのである、、、今思い返しても冷汗大瀑布である。万が一の事態を避けるため、CDの配送先はメンバーそれぞれの自宅以外にライブハウスにも直接届くように設定し、なんとか事無きを得たのである)。
・どうやら、、、このアルバムは、何をか象徴して、「光」「色」という概念が多用されていて、そして各曲ごとにその流れがあるらしいぞ、ということだった。 「night black」で始まり「ピアノDLY」で終わるこのアルバムのテーマは、気取って言うなら、「色彩の再獲得」ということになりそうだと、歌詞カードを読みながら、そんな事を思ったりしたのである。選曲も曲順も、正直に言えば偶然の産物だったのだけれど、そうやって眺めてみると、面白いくらいに必然性が感じられる流れになっていた。ピアノの鍵盤が白黒であるということとか、ジャケットのテレビがブラウン管であることとか、そんなことまで含めて何から何まで、仕組まれたことのような気がしてくる。そのうえアルバムのタイトルがLEUKOというのだから、なんだか出来すぎているような気がして、可笑しいのだ。
・「光」というものが様々の象徴として用いられることと同じく、「色彩」というものも、何か重要なものを「暗示」しているようだ。それはおそらく何か一つではなく――その意味するところを、それぞれがそれぞれに自由に想像を膨らませて聞いて頂けたなら、それはとてもありがたいことですね。