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2017/05/18

LEUKO

と書いて、ロイコと読みます。
なにかものをつくるとき、その正体がどういったものであるのか、
制作者にもあまりわかっていないということが得てしてあるようです。
そういう話は、今までも何人かの人に聞いたことがあります。
決して多くは無いのかもしれませんが、それでも確実に、ある話のようです。
まさに、このLEUKOというアルバムの正体は、
我々にも最初まったくわかっていませんでした。

我々にも最初まったくわかっていなかったのですが、
レコーディングを進める中で、わからないなりに出てきたLEUKOという単語、
様々な人の協力があって出来上がったCDの現物、
それを手に取り、聞きながら眺めているうちに、
あぁ、もしかしてこういうことだったのかな、
全てを解明できたわけではないですし、全てを解明できると思ってもいないのですけれど、
なんとなく、少しだけわかったことがあったような、そうでもないような、
その正体はぜひ皆様のお力をお借りして、気長に見出していきたいと思います。
まぁそういうわけでなんとなく、なんとなく。
しばらく書いてきたこの各曲ライナーノーツ日記の結びとして、
少しだけ、個人として今思う、このアルバム全体のことを。



000000.LEUKO

「the phenomenons」


・ろいこと読む。
・もともとの発端は2015年の夏ごろ、初のEP「BLACK LEADY / 雨のあと」のレコ発ライブが終わって、 では次にどうしよう、というところから始まった話であったはず。もともとふぇのめのんずの楽曲というのは比較的入り組んだ情報量の多いものが多いため、音源の発表はかなり前から心待ちにされていたのであるが、様々な事情によりレコーディングに踏み切ることができずにいたのだった。そんな中2014年にベースイノマタさんが加入、現在の編成(通称「ゴキメノンズ」)となって、漸く音源制作に向けての活動がスタートした。2014年10月には初のセルフレコーディング音源「水天楼」が完成し、ライブ会場限定無料配布という形ではあるものの、待望の音源発表に漕ぎ着けたのである。2015年6月にはちゃんとレコーディングスタジオで録ったぜ初音源「BLACK LEADY / 雨のあと」を発表。セルフ音源、ファーストEP、と来たので、じゃあ次はミニアルバムか!という、安直な流れだった。音源発表が長年の課題だったせいで、水天楼からLEUKOまで一気に駆け抜けた感がある。
・そんなわけで、EPから立て続けにレコーディングが決まったミニアルバムだが、その後様々な顛末があり、実際のレコーディング開始は2016年12月となった。様々な顛末、例えば8月くらいに実は「臨界事故」だけ先にレコーディングしようとしていた時期があり、いろいろあって頓挫したりした。あとは特にツアーとかしてないのに何故かツアーファイナルの開催が決定したり、鍵盤のひとがバンドと全く関係なく突然九州へと旅立ったり、 あとはなんとなくだらだらしたりして、気がついたら12月になっていたのだ。
・そういうわけで、話の発端から実際のレコーディングまで約半年ほどあったのだが、収録曲は全て企画発端当初、2015年7月の段階で存在していた楽曲である。言い換えればつまり、アルバムのために作った楽曲というのは一曲も存在しない。
・選曲については、早い段階でまず「臨界事故」と「ピアノDLY」の収録は決まっていた。鍵盤のひとがやたらプッシュするので「戦闘機平成」も決定。
・残り二枠についてはいくつか議論があったが、最終的に「Wednesday」と「night black」が決定する。
・他に出ていた案としては、「水天楼」「堕ちる」「pray」などがあったような気がする。個人的には「堕ちる」はちょっと録りたかったが、技術的困難が極まるので断念。
・つまりは、何かアルバムテーマのようなものがあって曲を用意したというより、現状転がっている曲を集めてアルバムにした、という順序であって、それ故に、このアルバムがどういったアルバムであるのか、作っている本人たちにもよくわかっていなかった。
・私自身が、このアルバムの何かテーマのようなものを少しだけ理解した、ような気がしたのは、CDの完成品が届いて、それを実際に通して聞いたときである。これは、レコ発ライブより後日のことだった(様々事情があり、CDの現物が届いたのはなんと企画当日の昼だったのである、、、今思い返しても冷汗大瀑布である。万が一の事態を避けるため、CDの配送先はメンバーそれぞれの自宅以外にライブハウスにも直接届くように設定し、なんとか事無きを得たのである)。
・どうやら、、、このアルバムは、何をか象徴して、「光」「色」という概念が多用されていて、そして各曲ごとにその流れがあるらしいぞ、ということだった。 「night black」で始まり「ピアノDLY」で終わるこのアルバムのテーマは、気取って言うなら、「色彩の再獲得」ということになりそうだと、歌詞カードを読みながら、そんな事を思ったりしたのである。選曲も曲順も、正直に言えば偶然の産物だったのだけれど、そうやって眺めてみると、面白いくらいに必然性が感じられる流れになっていた。ピアノの鍵盤が白黒であるということとか、ジャケットのテレビがブラウン管であることとか、そんなことまで含めて何から何まで、仕組まれたことのような気がしてくる。そのうえアルバムのタイトルがLEUKOというのだから、なんだか出来すぎているような気がして、可笑しいのだ。
・「光」というものが様々の象徴として用いられることと同じく、「色彩」というものも、何か重要なものを「暗示」しているようだ。それはおそらく何か一つではなく――その意味するところを、それぞれがそれぞれに自由に想像を膨らませて聞いて頂けたなら、それはとてもありがたいことですね。


2016/07/11

loiko

と書いても、おそらくロイコと読んでよいと思うのですが、
残念ながらこれは正しいスペリングではありません。
鍵盤のひとはタイトルなどを付けるときに、
言葉の持つ意味合いと同時に、語感とか見た目とかのイメージをけっこう重要視するので、
日本語でも英語でも、まっとうな常識で考えると盛大なスペルミスに見える曲名があったりする、
具体的にはかの「BLACK LEADY」などが挙げられますね、

具体的にはかの「BLACK LEADY」などが挙げられますが、
では今回のアルバムの最終曲である「ピアノDLY」はどうなのかと言うと、
これはおそらくスペルミスではない・・・略式「DLY」、
しかしこれ、なんて読むのってよく言われますね、







000005.ピアノDLY

「新しい旅へ出よう」


・ぴあのでぃれいと読みますよ。
・デモ音源の完成は2015年3月。今回のアルバムの収録曲の中では、デモ的には最も新しい曲ということになる(バンドでの初演自体は、night blackの方が遅い)。
・バンドでの初演は2015年5月末ということだったはず。直後の6月にフェノメノンズ初の音源「BLACK LEADY / 雨のあと」のレコ発企画があって、それに間に合わせようと頑張っていたのだった。ふぇのめのんずの永きに渡る課題として、「アンコール向けの楽曲が存在しない」ということがあり、その対策としてなんとしても企画までに成立させねばならなかったのである(ちなみにこの6月の企画のときには、アンコール時にまず鍵盤のひとだけが登場して曲のイントロを弾き始め、遅れて他のメンバーが登場するというエモーショナル演出を行った。メンバーからは「お前が先に鍵盤に座ると登場動線が狭くてめんどい」ともっぱら不評だった)。いちおうこのときは「ピアノDLY」をアンコールにしたことで乗り切ったのだが、それ以来(ありがたいことに)この曲がけっこう人気を博してしまったため、アンコールに回しづらくなり、結果的にアンコール問題は現在も解消されていない。
・基本的に新曲の実現が遅いふぇのめのんずにおいて、デモ音源完成から二ヶ月半ほどで実現にこぎつけたというのは異例な速さである(つまり普段がすごく遅い)。これは鍵盤のひとがこの曲を猛プッシュしたことによるもので、この点も異例である(他にも猛プッシュした事例として「夢々し」などがある。ちなみに「夢々し」と「ピアノDLY」はイントロのコード進行が同じ・・・うん・・・好き・・・)。
・猛プッシュの理由はふたつあり、ひとつは単純に「この曲こそが今ふぇのめのんずに必要だと思ったから」というまっとうな判断。その判断の理由を例え話で説明するために、鍵盤のひとはなぜか「メタモン」を引き合いに出したりしていた(そしてちょっとそれを後悔した)。「例えば”水天楼”とか”wednesday”とか”雨のあと”で、今まで水タイプのポケモンばっかりだったところに、”BLACK LEADY”で悪タイプ、”戦闘機平成”で炎・空タイプみたいな流れがあるでしょ。次に我々に期待されてるのは、水→悪→炎と来たから・・・草タイプかな?みたいな、傾向の読まれ方をしてると思うんですよ。確かに我々が草タイプを出したら意外性はあるけど、でもそれは<想定されうるレベルの意外性>なんです。その流れをここで一度リセットするために、次の一手はまったく違う角度から差し込みたい。つまり我々が次に手持に加えるべきは、メタモンなんです」みたいな。
・ライブハウスでこの曲の照明オペレーション要望書を出すときにいつも「特定の色の印象が付かないように」という注文を付けるのだが、そのあたりの発想も似たところである。
・猛プッシュのもうひとつの理由としては、この曲が鍵盤のひと的にかなり大事な曲だったからである。実は、この曲を象徴するイントロのピアノリフの原形は2012年の6月ごろ(それこそ「夢々し」と同時期くらい)に出来たもので、しかし鍵盤のひとは直感的に「これは自分にとってかなり大事な曲になる」と思っていたので、そのピアノリフを何に使うか迷っていたのである。インスト化してソロで発表するか、ボカロ化するか、バンドに使うか、などなど。そしてその判断が、単に曲を何に使うかということに留まらない、その後の自分の生き方にまで及ぶ可能性をどこかで感じ取っていた。つまりこの曲をバンドに使うと判断したことは、僕にとってひとつの、「バンドへの決心」と同義だったのだ。それはふぇのめのんずが現在の編成になってから半年ほど過ぎた、2016年初頭のことであるので、2012年の6月から、三年半の月日を経てようやく、この曲を書く明確な意志に辿り付いたのである。
・しかして、書こうと思ってもあんまり書き進まらなかったのだ。「明確に書く意志がある状態」で長期難航をするケースはけっこうまれで(前例としては三ヶ月を要した「臨界事故」がある)、その理由としては、「イントロのエモーショナルの正体がわからない」というようなことだった。つまりは、この曲がどういう曲なのか、自分でわからなかったのである。わからず、わからず、わからないまま、そしていつだったか、「あ、わからないんだ」ということに辿り付く(なにそれ)。「わからない状態から始まる」という方針を思い付いたのだ。そこでこの曲の音楽的テーマが決定した。この曲は「エモーショナルの再獲得」の曲である、と。いわば、「すかすかになったこころが復活するまでの曲」だ。
・タイトルの「ピアノDLY」は、2012年時から仮タイトルとして付けられていた名前なのだが、そういうわけでこの曲は先入観を持って聞かない(=すかすかな状態で聞く)方が良いだろうということで、このままのタイトルで採用としたのだった。
・「DLY」とはすなわち「DELAY」なのだが、何がディレイかって言えばそれは・・・ただ、今となっては、これはエモーショナルのディレイ、ということなのかもしれないとも少し思う。正解はいかに。
・この「DLY」がやたらと間違われやすく、「ドライ」と読んでしまうポピュラーなミスは勿論のこと、「DRY」 という非常にアルコーリッシュな解釈や、「DIY」という気の遠い道のりを示す方々もありあり、もうめんどうなのであまり訂正しなくなってきている。
・(個人的には最近、「ぴあのでぃーえるわい」と読むのが好き)
・なんだかんだアルバムのリード楽曲という扱いを受けている。もともと鍵盤のひとはアルバムのキラーチューンは「戦闘機平成」だと思っていて、というか今でもそう思っているのだが、何かに付けて引き合いに出されるのは「ピアノDLY」の方である。まぁもともとこのアルバムにはリード楽曲みたいなものは設定しないという方針になっていたのだけれど、ただ、今回のこの選曲なら、おそらくアルバムのトリはこの曲になるだろうということだけは早い段階から決まっていたので、だから僕は、このアルバムはどんなに転んでも最後には希望の方向を向いたものになるだろうと確信していた。なんてったって、「新しい旅へ出よう」ですからね。






2016/06/08

「leuko」

と書けば当然、ロイコと読むのですけど、
鍵盤のひとはしばらく、小文字表記「leuko」が正式名称だと信じていたのですが、
改めてCDを見直してみたら、なんか大文字で「LEUKO」って書いてあってびっくりしました。
小文字と大文字ってけっこう印象ちがいますよね。

小文字と大文字ってけっこう印象ちがいますよね、
「night black」とかも、もともと大文字「NIGHT BLACK」だったのがいつのまにか小文字になり、
あとは「ピアノDLY」が「ピアノdly」って書いてあるとちょっと気持ち悪かったりするし、
それこそ 「the phenomenons」を大文字にすると「THE PHENOMENONS」なんかうるさい、
個人的には、「Wednesday」も「wednesday」のほうが好きなんですけれど、
大変残念ながら正式名称は「Wednesday」のほうです。







000004.Wednesday

「I don't know what to say, no more」


・うぇんずでいと読み、水曜日と訳す。
・今回のアルバムにおいて、唯一鍵盤のひと単体による作曲ではない楽曲。アルバムのクレジットではボーカルマスイ氏の作曲となっているが、実際には鍵盤のひととの共作である。 クレジットにいろいろ書くのがめんどくさかったのだ。
・細かく言うと、Aメロの「うぇんずでぃ、とぅない」というメロディの素案と全体のムードをマスイ氏が考案し、その他サビメロなどは鍵盤のひとが作った。その後、全体の構成やコードワークはほぼ鍵盤が担当し、最終的な編曲指揮はマスイ氏が担当した、というかんじの流れ。
・作詞は100%ボーカルマスイ。いまのところ鍵盤のひとは英詩を書くことができない。いつの日か、と企んではいる。
・そういうわけで共作であり、スタジオで素案が出来た曲であるため、厳密な楽曲完成時期が曖昧である。ただ、ライブ初演はどうやら2013年9月っぽいので、おそらく2013年の春から夏にかけて出来た曲だったと思う。。。
・一体何が水曜日かって言えばそりゃ、、、我々のスタジオリハ曜日が、、、
・この頃はまだベーシストが現在のイノマタさんではなく、先代のカガヤさん(酒豪、♀)だったので、この曲には女声コーラスが印象的に使われている(ぶっちゃけマスイ氏より歌が上手い)。現在のイノマタさん編成になってからは、ライブではこの女声コーラスの部分までマスイ氏が担当しているが、レコーディングにはやはり女性コーラスを入れたいということで、久しぶりにカガヤさんを召喚した。(お酒奢るって言ったら快諾してくれた)
・カガヤさんはふぇのめのんずではベーシストだったが、ふだんは主にギター弾き語りでライブをしている(ぶっちゃけベースよりギターの方が上手い)。たまに共演するので、いつかライブで「ゲストコーラス、カガヤミキ!」っていうのをやりたいのだが、いまのところ実現していない。
・サビで鍵盤のひともコーラス参加し、最終盤においてはドラムのスガさんもコーラスに参加するため、先代のころは全員で一斉に歌う姿が見れる珍しい楽曲だった。ららーらーらーらーらーらー。単純にビジュアル的に全員で歌っているのが感動するので、イノマタさんにも口パクでいいから歌ってもらおう。
・というか実際のところ、現在のメンバー編成になってからは女声コーラスが抜けた痛手によりお蔵入りになっていた楽曲であったのだが、レコーディングに際してサルベージされたのであった。レコーディングだけ女声復活させて、あとはレコ発という名分で人目に晒してしまえばもう恐れるものは無いという魂胆である。
・(じっさい一時間セットリストのときにこの曲が無かったら、演る方も見る方もだいぶきつかっただろうなと今になって思うのであった)
・ふぇのめのんず楽曲の中ではかなり聞きやすくポップな部類に入るため、レコ発以後けっこう重用されている。ただ、演奏している側は普段とは異なる集中の仕方が必要になるため、そんなに休まっていない。
・鍵盤のひとの作詞ではないため、内容についてあまり断言することは出来ないが、とりあえずMCでは「別れの曲です」と表現されることが多い。
・ただ、「100年前の思いを」という歌詞を持つこの曲がこのアルバムの四曲目に配置されたことは、偶然にけっこう、良い縁だったような気がしている。もともとこの曲は三曲目の予定で、戦闘機平成が四曲目になるはずだったのだが、マスタリング前にマスイ氏の提案で急遽入れ替わったのだった。今にして思えばこれはかなり秀逸な判断だったと言える。音楽の響きとしてもそうだが、歌詞の持つ意味合いにおいても、ひとつの軸が通った曲順となっただろう。
・ちなみにサビ歌詞「夢の続きを」は、もともと「記憶のかけら」だった。たまに間違えそうになる。

2016/03/27

「ロイ子」

と書いても、ろいこと読みます。
これはジャケットのテレビに映っている「ふうせんコートの人」の愛称です。
もともとアルバム名が決定するより先に、ジャケットの素案はいくつか届いていて、
「3Dメガネをかけた群集」の案や、「映画のフィルム風」の案など様々ある中で、
その中でも特に異彩を放っていたのが「ふうせんコートの人」 の案でした。


その中でも特に異彩を放っていたのが「ふうせんコートの人」の案、
その衝撃性とバランス感を両立したデザインは満場一致で採用されるに至り、
後日、それを眺めつつカップ麺を食べながらアルバム名を決定する流れとなったのですが、
出てくる案はどれも決定打に欠け、とうとう議論が暗礁に乗り上げかかったその時、
ギターのひとが出した「leuko」という案。意味合いもさることながら大事なのはその発音「ろいこ」。
そこにすかさず「じゃあこのふうせんコートの子は”ロイ子”ね」と言い放ったのが誰かはさておき、
そうしてアルバムタイトルは(ついでにふうせんコートの人の性別も)決定したのでありました。
デザイン担当して頂いたHITOEさまには頭が上がりません。ふうせんなのに。
三曲目は空を飛ぶ曲です。ふうせんだけに。ふうせんだけに。






000003.戦闘機平成

「僕の賭けを 君に託そう」


・ふぇのめのんずを代表する不謹慎タイトルソング2。
・とはいえ不謹慎なのは実はタイトルくらいで、歌詞内容は以下臨界事故同文。
・いや、、、臨界事故よりはちょっと不謹慎かもしれない。 ただ、いずれにせよ主題は社会性にはない。これは題材として戦闘機を扱っているだけであって、根本的なテーマとしては、生きること、戦うこと、連鎖すること、その辺りに関わる大きな話だと思っています。だから別にシチュエーションは戦闘機に限らなくてもよいし、戦争ですらなくてもいいぐらい。それを現代の平成という時代に捉えた楽曲だが、これは平成という時代が終わって次の新しい時代が訪れても、いつの時代でも変わらないテーマとして在り続ける、、、ような気がする。
・デモ音源完成は2014年6月頃。この、2014年上半期という時期の楽曲は現在のセットリストで利用されているものが多く、要するに豊作だった時期のひとつである。他に「BLACK LEADY」「天使の塔」「night black」「星花火」などがこの時期の楽曲。
・バンドでの初演は2014年9月。比較的デモ完成から実現までが早い曲だった。その頃のセットリストにはテンポの一定以上に速い楽曲が「夢々し」くらいしか存在しなかったため、戦闘機の登場は、同年6月に初演となった「BLACK LEADY」と合わせて、フェノメノンズセットリストの方向性を大きく変革させることとなった。
・フェノメノンズ楽曲としてはめずらしい、鍵盤があまり前面に出ない楽曲であるため、かえって鍵盤のひとのお気に入り曲のひとつでもある。 完成時にメンバーに送ったメールは「ギターロック出来たよ!やろう!」だった。鍵盤のひとはしばしば、鍵盤の必要ない楽曲を作る。
・他曲に比べてまっとうにギターロック風味かつ歌ものっぽい楽曲であるため、一部から人気が高い。ありがたいことです。
・最後サビ入る前の「あの花の咲く方へ」が、「あの花が咲く!oh year!!」に聞こえるという報告がある。
・(その他空耳報告がいくつかあるが、実は八割方作詞者の確信犯だったりするのでした)
・そういうかんじで、歌詞は”曲の要所要所においしい単語が聞こえてくる”ということを目指して作られていて、特にサビ入りの瞬間の「空へ飛び立つ」に命を懸けている。そぉーーらぁーーーーへぇーーーーっっ、とび、たぁつ!!!!
・一番サビ終りにギターのリフっぽいソロっぽい一幕があり、作曲者的にはここがこの曲の最大の魅せ場だと思っているのだが、ギターのひとはここをやたら苦手としていて、レコーディングにおいても苦戦を強いられた。ちなみにこれはコードとして最後サビの後にも出てくる。
・コーラスが多用される楽曲のひとつであり、最後サビの後半ではメインのメロディに対して三度上下のコーラスが入る三声仕様まで検討されたが、実際にやってみたところ「アルフィっぽい」という意見から廃案となった。歌詞もアルフィっぽい。たったっかーう。
・歌詞中に出てくる「火名菊」及び「碑名菊」は造語であり、どちらもヒナギクと読む。戦闘機雛菊って、ありそうな名前ですね。。。歌詞は最初「花が咲い た」というところから始まるし、これは曲中通してひとつの重要なモチーフであるのだが、「花」が特に「菊」であることにはけっこう多くの意味合いがある。



2016/03/11

「ロイコ」

と読み、leukoと書きます。
アルバム名はボーカルのひとがつけました。
わりと気に入ってます。
言いやすいっていうのが大きいです。語感。
語感大事ですよね。

語感大事なんですけど、
これ、ふつう読めないぞ、という話にはなりました。
CDには、こっそりこっそりルビがふってあります。
ロイコと読みます。
二曲目はりんかいじこと読みます。





000002.臨界事故

「ここにいることは あるいは ひとつの 自己」


・ふぇのめのんずを代表する不謹慎タイトルソング。
・とはいえ不謹慎なのは実はタイトルくらいで、歌詞内容は過激だったりとか反社会的だったりとかぜんぜんしない。これは戦闘機とかにも言える事で、あくまで題材として扱っているだけ。
・デモ音源完成は2011年6月末頃。まさしく地震のあった年。鍵盤のひとがふぇのめに加入した年でもある。
・バンドでの初演は2014年1月。これまた、デモ完成から実現まで時間のかかった曲だ。当初このデモを持っていったときは実現不可能として容赦なくお蔵入りをくらったのである。フェノメノンズは一時期は五人編成だったことがあり、デモはその時期のものであるため五人を想定して書かれていたが、2013年に四人編成となってから、改めてこの曲を四人編成に編曲し直して提出したところ採用され、ついに実現に至ったのである。個人的にはバンド加入して初期の作曲であり、思い入れの強い楽曲であったので、実現したときはなかなか感慨深いものがありました。
・テーマは言わずもがな、311大震災と、原発事故。鍵盤のひとはこの日がちょうど高校の卒業式だったこともあり、人生の節目の、別れと旅立ちの日にあのような事態となったことで、人生観の根底みたいなレベルのところから何やら調子を崩されてしまい、結果として三ヵ月かかってこの曲を作るに至った。この曲を作ったときの記事がこのブログの奥底に眠っているので、ここでは改めて書くことはしないが、一言で言えば「選択すること」の曲だ、と、思っています。気になる方は過去記事を探してみてください(ブログの更新頻度が貧弱すぎるので、わりとすぐ見つかります)。
・ とにかくタイトルの破壊力が強いため、ライブにおいては積極的にタイトルコールがなされる曲のひとつ。「臨界事故という曲をやります」
・長い曲のひとつ。象徴的なピアノアウトロがあるが、これを省いても七分。とにかくセットリストにおける使い回しが難しく、メンバーは度々「この曲無ければいいのに、、、」と嘆いているが、でもだいたいのライブでいつもやってる。なんというか、音楽的にも内容的にも、他に代えが利かない曲なのだ。そりゃそうか。
・ライブにおいては青い照明が印象的である。これは歌詞に「青い光」という一節があることによるものだが、臨界事故における「青い光」というものがどういうものなのかは、お調べ頂くとけっこう画像が見つかると思います。
・また、中間部に少しだけ、赤い照明が印象的な箇所があり、これはやはり歌詞に「赤い光」という一節以下略なんですが、この「赤い光」がなんなのかは、調べてもたぶんでてきません。いちおう正解はある。
・テンポがめちゃくちゃ変わる曲(ただ、「テンポチェンジ」という種類よりかは「緩急」という種類に近いかんじ)。特に曲中で二回ほど出てくる七拍子の爆音テンポチェンジ箇所は通称「事故」と呼ばれている。もともとはこんなにテンポが変わる曲ではなかったが、気付いたらこんなありさまに。レコーディングにおいてテンポチェンジを再現するかは意見が割れたが、最終的にはクリック無しの一発録音という手段で強行することとなった。
・変拍子曲と誤解されることが多いが、上記「事故」部分の七拍子を除けば、アクセントの位置が特殊だったりするだけで、基本四拍子をキープしている。
・ベースが解放弦を多用する曲であり、解放弦を禁止されたらほぼ弾けない。キーの都合からカポタストを利用していて、その装着時間を稼ぐために、ライブではよく鍵盤の前奏が付く。
・作曲技術的には実は「温存」がひとつのテーマになっている。特に、4コード回転の温存と、四つ打ちの温存が大きい。最後の最後まで、決して安易には盛り上がりきらないという手法は、暗に臨界事故の進行を表しているとかなんとか。


2016/03/09

「ろいこ」

と読み、leukoと書きます。
アルバム発売しました。
合わせてふぇのめのんず公式疑惑ブログもそれに合わせた対応をしていかねばなりません。
重ね重ね申し上げますが、ほんらい体裁上は公式ブログではないです。



重ね重ね申し上げますが、ほんらい体裁上は公式ブログではないです。
アルバム、ろいこと読み、leukoと書き、ろいこと呼ばれています。
発売しました。
このブログは公式ではない、鍵盤のひとの個人的スペースですけど、
楽曲の紹介などを、個人的な趣味の延長として、責任感なくこなしてまいりましょう。
つとつと一曲ずつ。





000001.night black

「白黒な君の闇は 怒りも悲しみも 無いように見えていた」


・ないとぶらっくと読む。
・デモ音源完成は2014年3月頃。ちょうど現ベース加入騒動の時期であり、「BLACK LEADY」とだいたい同時期でもある。
・もともとタイトルは大文字で「NIGHT BLACK」だったが、「夜ノ黒」「ヨノクロ」などを経て現在の小文字「night black」に落ち着く。
・バンドでの初演は2015年11月。というかこの記事を書いた時点では、まだ三回しかライブでやってない。幻の曲、、、というか単純に最近の曲。
・アルバムのレコーディングが2015年12月だから、要するにアルバムに収録するために頑張った曲ですね。
・アルバム一曲目にして最大の技術難易度曲。臨界事故とかも難しいけど、、、難易度のタイプが違うわよね。
・主にベーシストが死ぬ
・もともとの発端は、鍵盤のひとの作る曲に対する周囲の「プログレっぽい」という評価に対して、鍵盤本人はプログレを作ってるつもりは皆無だったので、だったらちゃんとプログレっぽい曲を書いてやるわいと奮起し、結局あまりプログレにはならなかったという曲。
・動機こそ目指せプログレであり、結果として高難易度曲ではあるものの、最終的な作曲者のイメージとしては決して「技術主張の強い曲」「テクニック曲」だとは思っていない。むしろけっこうテーマ性や雰囲気に重きを置いた曲の部類だと思う。
・ふぇのめでは(いまのところ)数少ない、ギターソロのある曲。とは言えフレージィなソロではなく、ほとんどノイズ製造。
・また、全体にコーラスが多用されている楽曲でもある。ただしわりと楽器隊全員いそがしいため、あんまりコーラスするような余裕がない。
・ギターはスパイダーカポが必要。1弦2弦のみ1フレットにカポという仕様で、こうすることで開放弦のチューニングが全て完全四度で等間隔になる。
・フェノメノンズ楽曲中でも異彩を放つ、非常に特殊な和音感を持つ曲である。「和声的解釈」と「コード的解釈」をいろいろ相互補助しながらミックスした結果であり、つまりコードネームを当てはめるだけでは解析しきれないし、はたまた和声的分解だけに頼っていても理解は困難だが、両方を同時に用いると謎が綺麗に解ける。(いったい何を言っているんだ)
・あとはけっこうスケール感もけっこう特殊。フリギアとエオリア(ナチュラルマイナー)の併用によるところだが、途中でやたらギターが変化和音を多用する上、メロディの帰結位置も時によって曖昧であるため、わりと判断がしにくい。その辺りのもやもやが、ギターソロ後のコード解決時の快感を導いている。やっと解決した!ってかんじがある。(しかし、やっと解決したにも関わらず直後に歌詞で「延々続く」って言い出して、曲はまた曖昧に戻っていってしまう。このあたりの展開はこの曲の醍醐味。熱弁。)
・リズム的には6/8と3/4の感覚がこれまたミックスされていて、これがフェノメンバーをたいへんに苦しめた(とくに竿二人)。一時期はレコーディング断念まで噂されたが、強行突破。
・歌詞内容的は、けっこう心理的というか抽象的というか断片的というか。エモーショナルの有り方が、直接的ではなく間接的に表れているようなかんじ、、、?
・(歌詞完成時のメンバーへのメールより抜粋)色彩を判別できないということの原因はふたつあって、光量が足りないという場合、色覚に異常がある場合、どちらかなのですが、前者の場合には、最終的には色どころか何も見えなくなります。後者の場合は、色が見えなくても形(輪郭)は見える。ものごと、目に見えるものと実態真実は異なっていることも多々ありますが、この「見える」という状態一言にもいろいろ、色々あって、夜ノ黒の中で、色彩が見抜けない時、それは光が足りないからなのか、それとも光の無い時間を生きて、自分の目が色彩を無くしたのか、夜ノ黒の中で、その実態を見抜けるか。そういった中で、目安になるのは、自分の目と、誰か他人の目、かもしれない。目の色を窺う、という言葉もあることですしね。できればそれは、光が全てを照らしてしまう前に、夜ノ黒のうちに、試みておきたい。
・ロイコのジャケットデザインは、テーマ性においてはけっこうこの曲の影響が大きい。





2016/02/27

2015/12/09

GOOD MUSIC大賞 2015 というもので

the phenomenons、大変光栄なことになんとまぁ、大賞を受賞致しました!
ほんとうにありがとうございます!
みなさまの普段からのお力添えのおかげでございます。
具体的に投票にご協力頂いたみなさまは勿論のこと、
SNS等で情報拡散してくださったみなさま、
間接に直接にコメントをくださったみなさま、
ふだんより我々の活動を明に暗に助けていただいているみなさま、
恙無い運行をして頂いた公共交通機関運営のみなさま、
超満員の終電に楽器持ちで乗り込んでもちょっと嫌な顔する程度で許してくれるみなさま、
「the phenomenonsって何て読むの?読めないんだけど」みなさま、
ほんとうにありがとうございます!
みなさまに支えられて、みなさまあっての受賞だと思っています。
あんまりしつこく書くと胡散臭いのでやめますが、ほんとうに感謝しています。
ありがとう!



というわけで、この機会にふぇのめHPに足をお運びになる方も増えるだろうということで、
いちおう体裁的に、ちゃんと真面目な文章でブログを更新しておくことにしました。
the phenomenons鍵盤のひとです。

しかし、体裁を整えるというだけの動機でブログ更新などしてみたところで、
適切な話題も思いつかないですね、、、
ふだんはあんまりバンドのこと考えずに気ままに書いてるからな、、、
(このブログをふぇのめHPに勝手にリンクしたのはボーカルだ。ゆるさない。)
(でもこのブログを作ってくれたのもボーカルなので、なにもいわない)





ただ、こう、普段より来訪者が増えるだろうという状況、
これはチャンスでもあります。
いまなにかすごい話題性のあること(妊娠とか)をこの場で暴露すれば、
この来訪者が増えている状況にあって、
多大なインパクトを残し、それが話題となり、インパクトを残し、
「ふぇのめのんずの鍵盤妊娠したらしいよ」というようなかんじで、
何か多大なインパクトとか話題性があるじゃないですか。







 

まぁ、そこまでおおげさなことでもないのですが、
というわけで、話題として、
ちょっといまさらなことを暴露したいと思います。

わたし、「ジャグラー」です。
















・・・・・














ご覧のみなさまについては、おそらくこれから、
ジャグラーのなんたるかということや、なぜジャグラーになったかなどということが、
長々とここに書き連ねられるのだろうとご想像のところかと思いますが、
今回の更新の目的は「体裁を整えること」と「話題を生むこと」だったので、
その目的は既に果たされたので、謎を残したままここでおしまいです。
ちょっとお腹いたいのでトイレ行ってきますね。
続きはまたいつか。

 GOOD MUSIC大賞 ほんとうにありがとう!


2015/11/22

業務連絡


///
設定端の六点までが逆線に触れる可能性があります。
指定点までのコントロールは減圧反応開始後の変更が利きませんので、
反応が終了してから可視最低値を割るまでの時間も換算に入れた上で、
始点乖離時から発生する順方向圧力を最終まで保てる状態にある
三点以下のコントロールスロットを使用してください。

2015/11/15

ライトアップ


あおる、むしろ、あかるく
錆た箔を赦す
情を迫る赫き
静かにつづく拍をいつまでも赧らめていく
ライトアップ
あおう、むしろ、あかるく


2015/11/08

あなたと



いったならそこで何かしたい
何が出来るかわからない けど
いったなら そこで何かしたい
いったならそこで何か したい
いったなら そこで なにか
いった ならそこで何か したい

したい したい したい

何が出来るか わからないけど
わからないけど
いったならそこで何かしたい

わたしで



2015/09/30

ふぇのめのんず用語集 vol.1


<現象系ロックバンド>
バンドのキャッチコピーというか自己紹介。
だからphenomenonsの意味も現象とかそれ系なんだろうなと思ってたら、
ツアーファイナルでのボーカルますいのMCにおいて、そうじゃないらしいことが発覚した。
どうやらメインの意味合は「非日常」であるらしい。
いや、企画にあわせて都合のいいことを言っただけかもしれない。
ただ、このキャッチコピー自体はふぇのめのんずの音楽性をけっこうジャストに表している。


<マフィー>
ボーカルますいの愛称。
スプールというバンドによる命名。


<水天楼まフィードバック>
「水天楼」のサビ入りにおいて、
ますいさんがエフェクターを踏み替えながらピックホルダーからピックを取りながら
ドラムのハットカウントを聞きながらいきなり高音に飛ぶ歌を歌うことで
キャパシティオーバーを起こした結果表情がネコみたいになる(彼はネコ派だ)現象。
やはりスプールによる命名。


<BL>
「BLACK LEADY」の略称。
メンバー内にBLの事実はない。 残念だったな。


<ほっかいどう>
「BLACK LEADY」の最後サビの入りにおいて、みんなの息が揃う魔法の呪文。
サビ入りの瞬間、一拍のブレイクでボーカルの歌詞が「深い」、
リズム的には「ふっかい」、その直後オケが全体入りし「どーん」、
すなわち
「ふっかいどーん」
「ふォっかいどーう」
「ほっかいどう」

動画で言うところの3:25らへん

 
<北海道、闇の世界>
空耳。というかただの悪意。
上記「ほっかいどう」の直後に来る歌詞が「闇の世界」だというそれだけの話。
北海道のみなさますみません。好きです北海道。

 
<ピアノDRY>
誤字。
とてもアルコーリッシュである。


<ヨーグルトが食べたい>
ある日突如生まれたスタジオセッションの名称。
鍵盤のひとがヨーグルト食べたいって連呼していたのでこの名称がついた。
このセッションには、ウドゥドラムという壷型パーカッションが必要である。


<夢々銀河鉄道>
「夢々し」の中盤の転調において銀河鉄道が発生することから生まれた語。
テンポキープが鬼門であり、何かと練習で繰り返されるので、
日によってはスタジオに十本近い銀河鉄道が走る。
ちなみに歌詞は「ここで 死なせて」


<臨界事故という曲をやります>
臨界事故という曲をやるときのあいさつ。
初めての人はだいたいここで「えっ?」ってなる。


<wednesday>
曲名。
ふぇのめのんずのスタジオリハは長らく水曜夜だったのだが、
そこで突如生まれたこの曲に付いた歌詞が、
「wednesday tonight」というものだった。ひどい話だ。

うぇんずでい、とぅない


<文鳥>
ドラムのスガは文鳥を飼うついでにバンドをやっている。


<sawayaka>
曲名。
さわやかな曲だから、さわやかって呼ぶことにした。


<これは、事件だ。>
没キャッチコピー。
確か何かフェス系に応募するとかライブハウスに情報送るときに、
いろいろ出た自己紹介PR諸々案のうちのひとつ。
採用こそされなかったものの、その語感のよさから度々ネタ的に使用される。


<ネコ>
①ボーカルますいの生きる活力。
②バンドのイメージキャラクター。
もともと元ベーシストかがや氏がわりと楽に書いた楽イラスト。
フライヤーに抜擢され、ついにはグッズ展開され、その衝撃にネコ本人も驚きを隠せない、
みたいな表情の大きい缶バッジ売ってますんでぜひ買ってってください。






「え、俺!?」みたいな顔してる 








<ショキメノンズ>
ふぇのめのんずの初期メンバーの名称。
なにかとメンバーチェンジが多いふぇのめのんずは現在ゴキメノンズである(やな名前)。
現在残っているショキメノンズはボーカルマスイとドラムスガのみ。
鍵盤そうりはニキメノンズ、ベースあやちゃんはゴキメノンズである。


<事故>
①ギターのストラップが切れたり弦が切れたりペグが曲がったり足元が壊れたりすること。
②「臨界事故」の7/4拍子の部分の通称。
同曲における最大の鬼門であり、これがあるせいで中々ふぇのめのコピバンが発生しない。
拍子自体はただの7/4拍子だが、導入の瞬間に1/4拍子ブレイクが存在することや、
7/4拍子に対しポリリズム的なずらし方で入ってくるドラムのフレーズが3/4及び4/4であること、
そこにさらに急速なテンポチェンジが存在することによって、しっちゃかめっちゃかになっている。
もともと最初の頃はこのテンポチェンジは存在しなかったのだが、
積み重ねすぎた練習により感覚が麻痺し、「事故」部分にあまり緊張を感じなくなっていたので、
「気分転換にちょっと飯いくか!」みたいな安易さで「テンポ変えるか!」などと言ってみたところ、
その後数ヶ月地獄をみることになったのである。
しかしこのテンポチェンジにより、臨界事故は揺ぎ無い地位を持つこととなったので、
まぁ結果おーらいなんじゃないですかね。


<破顔>
大塚にある油そば専門店。
ふぇのめスタジオリハが大塚で行われていた時期、スタジオ帰りにふらっと立ち寄りたかったが、
スタジオ終わりが23時で破顔も23時に閉まるので、一度もバンドで行けてない。
大塚でライブするときも、ボーカルが勝手に一人で行って食べ過ぎて歌えなくなったり、
つまりバンド的に何の思い出もないお店。
ただし味自体はふつうにめちゃくちゃおいしい。個人的によく行く。 大盛無料。


<終電>
①その日の最後の電車。これに乗れないと電車では家に帰れなくなる。
バンドマンはたいがいこれを逃すものだが、ふぇのめのんずはシビアに終電を気にしている。
鍵盤のひとはいつもスタジオに自転車で来るので、一人だけ余裕の表情だが、
その実態は電車賃すら無いということであり、心に余裕は無い。
②セットリストの最後に「夢々し」が来ること。またはその場合の「夢々し」のこと。
ちなみに未だかつて一度も実現していない。


<雨のあと>
①曲名。
ふぇのめのんず最古の楽曲のひとつであり、セットリストの最後はだいたいこれ。
練習期間も最も長く、心の支え。
②ふぇのめのんずのライブ後に大雨が止む現象。
別にそんなに起きない。ただ、起きたら嬉しいっていうだけ。



2015/07/10

最近マインスイーパばっかりしてるぞ

あのゲームはスピード感が大事だ、
ハンター2でビスケ師匠も言っていたが、思考の瞬発力というやつである、
ということで、ちょっと今回、ブログもスピーディに書いてみることにした、
思いつくままに書く、手を止めない、
出来れば五分以内に書き終えたい。
スピード感が大事だ。
マインスイーパというゲームもやはり、スピード感が大事だ、
行き詰ったらすぐに、別の回路から思考を改める、
一箇所で行き詰ったらすぐに、別の箇所から抜け道を探し出す、
基本的にあのゲームは、シンプルな構造の、論理的なゲームだが、
実際にやりまくってみると、案外ものすごく、運の要素が大きいということに気付く。
少なくとも僕の使っているvista君に搭載されているマインスイーパの仕様では、
論理的な思考が成り立たず、完全に運任せになってしまう局面というのが、
驚くほどの高確率で、高確率で、けっこう頻繁に、しょっちゅう登場する。
有名な言葉で、考えるんじゃない、感じるんだ、というのがありますけれど、
まさにそんなかんじかもしれない。
行き詰った時には、残りの爆弾個数から判断できることもあるが、
それすらも成り立たない場合もある。
そのとき、一度そこから目を離し、
盤面全体に立っている旗の数をうっすらと眺め、
残りの爆弾個数とあわせて、なんとなくイメージする、
穴はどちらだ、
すっと、直感でクリックする、
すると、
爆死しました。
どんとしんくフィーリングの道はなかなか険しいです。
スピーディにブログを書いてみましたが、
五分を切る事は出来なかった、、、。

2015/06/24

自主企画でのMC内でブログの存在が暴露されたため

ちょっと何かしら書かなくちゃいけなくなりました、、、
こんにちは、the phenomenons鍵盤のひとです。



元々前々常々再々申し上げておりましたように、
このブログはthe phenomenonsに私が加入いたしました2011年2月のこと、
ボーカルマスイ氏が「ブログでもやれよ」と言い放ち、
翌日には最低限のブログの形を作って私にURLを投げ込んできて、
あとは好きにやれよ、みたいなかんじで、
はぁわかりました、というテンションのまま、
超殺風景なブログを年四回ぐらいの低頻度で更新してきたのであります。

再々常々前々元々申し上げておりましたように、
このブログはthe phenomenons公式ブログということでは決してございませんが、
ボーカルマスイ氏が「ブログ辞めるわ」との言葉も無しに、
某日に御自身のブログを勝手に閉鎖してURLも失効し、
あと任せたよ、みたいなかんじで、
はぁどうしましょう、というテンションのまま、
超殺風景なブログを年四回ぐらいの低頻度で更新してきたのであります。




しかしやっぱりじっしつじっさい、
バンドのHPから飛べるブログがひとつしかないならば、
それはどうしても、バンド公式ブログということになる。
自分たちにそういう意識がなくとも、
傍からみれば公式ブログ。
こういう事実は、受け入れていかなくてはならない。
ぼくは児童館においてクラブ活動の外部講師であり、
児童館に普段から勤めている先生方とは立場がかなり違うが、
こどもたちから見れば、みな等しく先生なのである。
自分でそういう意識がなくとも、
子供から見れば大人先生。
こういう事実は、肝に銘じておかねばなるまい。




だからここでのわたくしのふるまいは、
そのままthe phenomenonsのふるまいということになるので、
ここでたとえば私が、隅田川の水質浄化について語りだせば、
それはthe phenomenonsが、隅田川水質浄化系ロックバンドということになる。
それはそれでアリだとぼくは思っているのだが、
自主企画のあとで載せるブログとしては流石に適切ではあるまい。









それでは、the phenomenons実質公式なんじゃないか疑惑ブログより、
鍵盤のひとが代表して皆様に御礼申し上げます。

この度は、
6/23新宿motion
the phenomenons 1st ep release party [ordinary]
皆様のお力添えにより、無事終了することができました。
本当にありがとうございました!
共演者、ライブハウススタッフ各位、ご来場者の皆様、
ご来場者の皆様のご家族様、新宿への交通網を整備してくださった皆様、
天気予報で傘の携帯を促してくださった気象予報士の皆様、コンビニ様、
その他ざっくり全人類とか猫とか諸々と諸々、
できればお一人お一人に感謝の気持ちを直筆の手紙でお伝えしたいところですが、
もう面倒くさくなってきたので大声でいっぺんに済ませたいと思います。
ありがとう!!!!!ございました!!!!!


もし皆様さえよろしければ、
いずれまた、こういった機会を用意させて頂ければと考えております。
その時には、関係者各位、
またライブハウスへの交通網を整備していただき、
コンビニにはシーチキンマヨネーズおにぎりを品切れなく準備していただき、
皆様は天気予報に気をつけながら、ご来場いただければ幸いでございます。
またどこかで!お会いしましょう!













追筆

譜面売り切れました、ありがとうございました。
譜面の最終頁に載っていたライナーノーツ的あとがき的文章を、
このブログに載せるということを期待されていた方もいらっしゃるかもしれません、
単純にいま、めんどうくさいのでやりません。
そのうちやるかもしれないので、長い目で応援してください。
(※このブログの平均更新頻度は、ざっくり年四回です)


2015/03/07

かたてまに

かたてまに書こう。
と、思っていたのですが、
本筋の作業の方が終わらなさすぎて今日は諦めることにしたので、
かたてまじゃなくなりました。
ブログを更新しなきゃな!って思って、
がんばって書いてるっぽいひとたちを見かけます。
それはそれで、いいぞ、頑張れ!という気分でして、
好きでも嫌いでもないですし、可も不可もないな、と思います。
ブログ更新しなきゃな!という意識。
僕自身はあまりそれは無いのですけど、
ただ、書く内容も特にないのに、
それでもがんばって何か書こうとしてる、という状況は、
おそらくは普段とは別のものを生み出す力があると思います。
それは、馬鹿にできないものだと思います。
そういう姿勢は、ものづくりにおいても云々・・・
今年に入ってから、今三月までに、
the phenomenons用に、
十曲の新曲を書き下ろしました。
たぶん四月までにあと数曲いくと思うのですが、
いま、この状態は、
曲を作ることが連鎖している状態にあります。
すなわち、一曲を作っている最中、
次の一曲の種が生まれ、、、という連鎖です。
これが続くうちは、かなり量産体制に入ります。
その状態で出来ている曲と、
そうではなく、じわじわと、搾り出した曲と、
どちらにも、よしあし、良さ悪さがあります。
書きたいから書くブログと、
書かなくちゃいけんぞと書くブログ、
ブログ、、、



言える事は、現状、
その両方が発生しうる環境におかれているということだ。
これは、「本来ブログを書くのが好き」ならば、
恵まれた環境と言えるかも知れませんね。
もちろん私の場合は、ブログではなくて曲ということになるのですけど、
(わりと文章をかくのも好きなたちではありますが)

恵まれた環境、、、?
「何かをするために適した環境」という意味であるならば、
「何かをする」ということを目指し続けていなければいけなくて、
「何かをする」ことを「成し遂げやすい」のが「恵まれた環境」 であるか、
なんだか、それは半分まで正解で、半分以降は微妙な気がする。
半分正解で半分間違い、というより、
半分正確で半分不正確、という方が実態に近い。
半分正鵠で半分語弊、とか?
(こういう言い回しを考えるあたり、やはり文章を書くのは嫌いじゃない)






曲を演奏するために、
僕はバンドを組んでいるのですが、
バンドを続けるために、
曲を書いているのでもあります。
僕が音楽をやっていて、
その道中でたまたま拾ったようなこの関係ですが、
 どうもなかなか、
それが音楽の力なのだとしたら、
十分にその恩恵には与っているじゃないか。
音楽で何かをしたいわけじゃなかったけど・・・
だから目的は、音楽そのものだったのだけれど、
そのおかげで得たものが、気付いたら、けっこうあったのだ、










2014/10/29

BLACK LEADY




どこかで聞いた
呼び声の跡
思い途切れている
暗がり
行き先は立ち止まる
人影のない方へ
吐き出す声が
残る影を裂いて
溶け込んでいく命
またひとつ光を
捨て
暗闇



目に見えぬその先へと 進んで





灯は途切れた
過去の筈
誰かの跡を見つけて
深い闇の手前で
人影を気にかけた
生きるには
どうすればいいのかを
黒い服の少女が
霞む空を見ていた
答を選べるのは一度だけ
何を見せよう



影の溶けるその先へと 進んで
最後の扉へ近付く 心の果て
立ち止まる誰かの声が聞こえていた




深い闇の世界で
ひとつだけの光を
守るには
どうすればいいのかを
今も考えていた
恐らくこれからもずっと
道は深く沈んだ
影の様で
深い闇の向うへ
誰かがまた問い掛けた
いつかここへ
帰ってくるのかを
黒い目の少女は
冷たく微笑んでいた
出逢った時の気持は
少しだけ
今も覚えている
ほんとうは
これからも



2014/04/05

火

とか、よくタイトルに使うんですが、
なんか、こう、好きなんですよ、こういう文字。
なんか、威力があるというか、
たたずまいが見える気がする。
曲を聞くより先に、タイトルだけでもなんか、姿を感じる、



これはかつて別の場所に書いたことがある内容なのですが、
例えば、猫。
猫、という漢字。
猫、すごく、猫っぽいよね。
猫、かわいいけど、
猫、のかわいさが伝染して、
猫、ていう漢字も、もはやかわいい。
猫!
猫!
猫、好きです。
猫!


猫、に限らず。
他の文字でもそういうところはあるでしょう。
山、みたいな、そもそも形が形なものは当然だし、
あと、悪、とか。すごく悪っぽい。
冬とか。完全に冬。冬って書いたら、冬だ。

ただ、これ、
外国の方では、そうもいかないだろうな、
意味として理解するまでは勉強すればどうとでもなるけれど、
そこに、イメージまでが染み付くには、
それなりの時間がかかるだろうし、それはすなわち文化の違いですから、
そもそも収得が不可能に近いという場合すらあるでしょう。

・・・というような内容で、かつてはもう少し掘り下げて書いたのですが、
とりあえず今回の趣旨はそこにあらず。
要は私の好みによって、私の曲はやや特殊なタイトルが多いので、
そういえばこの日記は、ほんとうはphenomenons鍵盤として書いていたものだし、
ここでひとつ、少しだけタイトルをご紹介させて頂こうかと思った次第です。
ライブ中、タイトルほとんど言わないからね。






水天楼

ギターがすごくはやい指アルペジオを弾くあの曲です。
もともとの語源?は、摩天楼+水天宮 というきっかけだったはず。
タイトルが先行して出来ていて、
タイトルと関係なくあのアルペジオを思いついて、
後になってその二つをくっつけた、といういきさつです。
こういう作り方もけっこう多い。
まだ使われていない、未使用タイトル、というのがたくさんあります。
いつか全部消費できるといいのだけれど。




青空剥し

これ系のタイトルがいくつかあります。星空墜しとか、寒空濁しとか。
あまりライブでやらないので、ご存知ない方も多いかと思います。
やたらリズムが一時停止する、爽やかだけど機械っぽい曲。
これにはモチーフとした原作漫画があって、
青空、あるんだけど、これほんとは機械仕掛けの、スクリーンなんです。地下空間。
青空を剥して、本当の世界へ。
動詞の名詞形って、なんて言うんでしたっけ?




夢々し

ベースのアルペジオから始まる速い曲。
この、「し」で終わる系、好きなんだなきっと。
もうちょっと理論的に言えば、用言で終わる系、かしら。
用言でも、タイトルにしてしまえば体言になるので、
なんか、独特の浮遊感があります。
まあ、夢々しというのはそもそも造語ですが。
歌詞中にも夢という単語が何度か出てきます。
夢と書けば、大きくふたつの意味がありますが、
その両方からこの曲を捉えて欲しいということで、
夢と夢で、夢々し。




臨界事故

これはライブ中よくタイトルを言うのでご存知の方も多いかと思います。
最近の曲、、、ではないんですよ。
当時の記事があるので、この日記をご覧の方は、まぁ、わかると思いますが。
これは、そのまま。既成の言葉ですからね。
ことがことなので、破壊力は高いですが、
ただこれは、必ずしも、
あの、例の、当時のあの事故のことを書いているだけの曲ではないです。








タイトル、できれば字面で皆様にお伝えしたいのですが、
ライブ中にどうすればいいのだろう。プロジェクターかしら。

2014/04/02

思いを馳せるために

音楽をしていた、ということもあります。
芸人のほうもそうなんですけど、
むしろこのことに気付いたのは芸人の練習のときで、
つまりもともと芸人のほうこそそうなんですけど、
音楽にも当然それが言えるかもしれないと思っています。
とにかく、
何かと言うと、








私は音楽も大道芸も全て独学ですが、
それを始めたのは、だいたい小学五年生くらいのころです。
比較的、練習はよくしていたような気もしますが、
それは自分にとって、それがもともと遊びの延長にあったから、
そういうふうに言うことができる側面もあります。
もったいぶった言い方をしたのは、
そうではない側面もあったから、ということです。
それが、ひとことで言えば、
思いを馳せるために、ということでした。










夜、学校のみんなは何をしているのだろう。









小学校のころ、登校班というのがあって、
年に一回夏休みに、班でのお楽しみ会があったんです。
それで、夜間プールというのがあって。
夜なんです。夜のプール。

特別なかんじがした。
言ってみれば、夜遊びへの憧れということなのですけど、
特別なかんじ、ということで言うならば、
これ、別に夜じゃなくてもよかったのかもしれない。











手を触れられないことの象徴としての、夜。
要は、特別な時間に触れた気がして。
自分と、誰かとの間にある、
なんだかよくわからないすきまのような時間を、
少しだけ埋められたような気がして、


ただ、それは、程度の問題で、
ひとり、という時間は必ずある。
ひとりの夜について、考えなくてはいけない。
それはつまり、
孤独についての問題であるのだと思うし、
ひとのしあわせについても関係のある話だと思いますが、
なにしろ、
ひとりであること、
ひとりであることを感じること、
ひとりであることを感じることで寂しい気持ちになること、
それらが最終的に自分の心の問題であることは、
だれにも明白なことだと思います。









ひとりの夜、
そのとき、誰かに会いに行こうとする、
それは直接的な解決方法ですし、おそらくよいことなのですが、
それはその時間をやりすごすことであって、
ひとりの夜についての、根本的な解決にはならない。










そんなとき、わたしは、
ボールを投げてました。

ピアノを弾いて、
楽譜を書いて、
スティックを回して、
曲を作って、
ギターを弾いて、
コマを手入れして、









ある夜、
ひとりの夜、
それは、自分だけでなく、
みんなが、ひとりを過ごしているのだと思った。
だれにも、ひとりの夜があって、
みんなが、ひとりの夜を過ごしている中で、
そのひとつとして自分もいる、そんなふうに思った。

その瞬間、
ひとりだった自分が、
なんだか、みんなと、同じ時間を過ごしているような気がした。
同じ場所にはいないけれど、
同じ時間の中にいる気がした。
それなら、自分は何をしよう、と思った。
ひとりの夜、
みんなが過ごしている、人それぞれのひとりの夜、
その中に自分がいるのなら、
そのとき自分は、どんな過ごし方をしている自分でありたいか。









そのことを考えることで、
みんなの夜に参加できる気がした。










みんなが参加している「ひとりの夜」というイベントに、
自分も参加できる気がした。

自分がひとりであるときのことを考えて、
自分がひとりをどう過ごすかを見つけたとき、
触りたくても触れなかった、だれかの夜、
「ひとり」という時間に、
触れることができるような気がした。















ひとりの夜、
自分の、自分らしい過ごし方をすることで、
みんなも、みんならしい過ごし方をしているのだろうと、
そうやって思いを馳せていたんです。

個性、自分らしさ、使命感、いろいろ言い方はあると思うのですが、
それを磨き、それを発揮し、それを全うすることは、
もちろん直接的に誰かの役に立つということもあるのでしょうが、
もしかするとそれ以上に、それらは、
ひとりになったとき、ひとりについて考えるとき、
ひとりの夜を過ごすときにこそ、重要になるのではないか。
そんな気も、少ししています。


















しばらくぶりに記事を書きましたが、
この、記事を書くということについて考えた時にも、
やはり、思いを馳せているのだなと、
そんなことを思って、こんなことを書きました。
ちなみに筆者は、
ポルノグラフィティのヒトリノ夜は大好きです。






2013/03/02

何年かに一度

大きな変化を自覚します。




いや、人間的にとか、
社会情勢的にとかもそうなんですけど、
とりあえず、ここでは音楽の話です。
私は、一応の主張としては、
演奏よりも創作の人間だと申し上げておりますので、
つまり、作る曲の、方向性とか、技術とか、やりたいこととか、
そういったものが、何年かに一度、大きな変化をします。




作っている最中に意識することもあるし、
作ったものを後で聞いてみて、意識することもあります。

後者の場合、曲を聞いて、
「集大成」という感想を持つときと、
「発展」という感想を持つときがあって、
もちろん、どちらかに限れるわけでもないのですが、
なんとなく、どちらの比率が大きいのかということで、
これは「集大成」の曲、これは「発展」の曲というふうに、
なんとなく、どうでもよく線引いています。

「集大成」の場合、今まで発展してきて、膨らんできたものを、
ひとつ分かる形として、洗練して引き出しにしまうような作業なんですが、
こうすることで、発展してきた諸々に、コントロールが効くようになる。
後日、その諸々を再利用しやすくなる、ということですね。
「発展」の場合、とにかく、ばらまく。とっちらかる。
あとで集大成つくるときに回収しますので、という前提で、
とにかく、汚す。泥の中から、新しい何かを見つける。





で、いま、まさに、「発展」の方にきてます。
ただね、これなんですけど、
いままで、何年かに一度経験してきた「発展」とは、
今回、かなり性質が異なってます。
具体的に言えば、曲を作る前の段階から、意識しています。
受動的ではなくて、能動的に、意識しています。

何かが変わる気がする、ということではなくて、
何かを変えるつもりでいる、のです。
今回は。



いつもは、
「発展」の名が指し示すとおり、
”何かを持っていて、それを発端にしてさらに展開させる”
というようなことに近い。

ただ、今回は、
”全く別のところから、何かを持って帰ってきた”
というようなことに近い。
だから、「発展」よりはやはり「変化」、または「添加」?
誰かの何かが自分に添加されることを受け入れ始めているのかもしれぬ。
愛ですかね。
なにいってんだ私。


2012/06/02

作った曲を、何に使うか

毎回、悩みます。




複数の音楽団体に所属しているので、
出来上がった曲を、何に使うか、
困ってしまうんですね。

いや、
はじめから何に使うか決めてかかればいいんですけど、
そうでなくて無意味に思いついたモチーフは、
それをピアノ曲にするか、
バンド曲にするか、
演劇音楽にするか、
演技音楽にするか、
そのたもろもろ、
困ってしまいます。




それが、遅筆の理由のひとつでもあります。





機能音楽を作る上では住み分けはできるのですが、
そこになんらかの表現を生み出そうとした時には、
毎回、具体的な音は歌詞は雰囲気は違えど、
なにをそこに描きたいか、ということは、ほとんどいつも、
変わらないんです。
じゃぁ、なんなんだ、といわれると、
一言ではすらっとは言いにくいのですが、
自分の曲をあとで聞いてみると、
そのなかに、
「あ、ここは、soriの切なさだ」とか、
「この高揚は、soriだ」とか、
あるんです。
で、だいたい変わらず、そういったものを描きたくあって、
で、だいたい変わらず、そういったものを描くのですね。

技術的な変化は毎曲にはっきりと見受けられますが、
描きたいと思っているものは、毎回変わらない。
いや、描きたいと思っているものも、蓄積されては行くので、
進化、というか深化はしています。
ただし、もとからあるものはありつづけるままで、
蓄積されていって、コントロールも利きますが、変化はしません。



そんなこんななので、
描きたいものが一貫している以上、
それは、全身全霊soriなので、
それを、いろんな場所に持って行きたくなってしまう、
バンドでもやってほしいし、ボカロにも歌ってほしい、
演劇にも使って欲しいし、通学途中にも聞いてほしい。



なので、毎回悩むんですね。
何に使うか。



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